タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 3

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この本の第1章は、素晴らしく「創りあげられた物語」で完結しているのですが、また第4章から再開して来ます。第3章には銀行員時代の事が書かれていますが、御存知の様に、私も彼と同じ三和銀行(現在の東京三菱UFJ銀行)で同期として過ごしてきました。もちろん支店や周りの環境は個人差がありますが、私は彼のような経験、特に同じ外交(営業マン)として、自分の数字をごまかされたり、冷遇された事もありませんでしたので、この事を否定も肯定も出来ません。ただ私は日本で生まれ育ち、感覚的に社会のルールや文化を肌で感じてきましたので、上司との付き合いの中で彼ほどの”屈辱”(?)を受けた事はありませんでした。

幻の広尾一号店

第4章では店舗について書かれています。幻の一号店?「広尾」。但しこれはダンケンズとしての店舗予定地でした。アメリカのアイスクリーム=外人=広尾?という発想(もちろん聖心女子大もありますし。)で、とても25歳以上の男性女性をターゲットにした店作りとはかけ離れてますよね。ですからこの店舗はアイスクリーム構想の第一号店だったのです。

では何故?コーヒー路線に変更したか??

実は私は、彼の進めていたアイスクリーム展開に疑問を持ち(季節産業)、ロコトレーディングで昼間、電磁波防止商品やコーロギ入りチョコレートを販売(両方とも渋谷の東急ハンズで販売してもらえました。売上げは??でしたけど。でも電磁波の素材に関しては、私自身東京大学の理工学部の助教授から問い合わせを受けて、営業に行った事もありました。)をしつつ、”これでは駄目だ!そして、この先はアイスクリーム???”
という疑問を抱き、実際に”業界の中身を探ってみよう!”と決心し、アルバイトとして赤坂のスターバックスと西麻布のホブソンズでお世話になりました。実際、その3ヶ月位は、昼はロコトレーディングの本業。午後からはアルバイトと身を粉にして働きました。
勿論、後に”コーヒービジネスをやるんです!”という事は内緒でいた。
スターバックスコーヒーでは、店長をはじめスタッフの皆さんには大変お世話になりました。外から見ていたスターバックスと、中から見るのでは「大違い」でしたから。(良い意味で。)そこで研修を受けて、実際、店舗で3ヶ月ほど確か週4日くらい働かせてもらい、とにかくコーヒービジネスの将来像を掴み、同時にタリーズ、または他のコーヒービジネスへの野望を膨らませていったのです。ですから、英語の堪能な松田は「タリーズ担当」(主に輸入取引手続きと仕入れ等)、そして私は彼の言う「店長」(?)というか「店舗運営」にその経験を生かして着々と(無茶苦茶な話ですが、実際は3ヶ月くらいでオープンまでにこぎつけました)実行していったのです。元来タリーズはスターバックスのコピーでしたから(アメリカ本社自体)それを日本でも実行しただけなのです。

私が聞いた話はこういう事です。ある日、不動産を保有していたタリーズ社長トムのところに、スターバックスから事務所を貸して欲しいという話があり、トムはそれまで全く興味を示していなかったコーヒービジネスを調べてみた。すると、飛躍的に伸びるスターバックスの成長をみて、「よし!俺もこれやってみるか!」と思い付き、タリーズコーヒーを立ち上げた、という事です。非常に真実味のある話です。そんなタリーズですので、前回も書いたように「独占販売契約」という形で、日本の1号店を開く際に「マニュアル」はほぼ存在していなかったのです。後に、アールジェイ(副社長)から渡されたアメリカ版タリーズマニュアルと、スターバックスの日本のマニュアルを比較してみましたが、殆ど同じだった気がします。ただ違うのは「フェロー」と「スワークル」位だった様な気がします。

そして私が恐怖に慄いたのは、タリーズオープンの日。スターバックスの管理部門の方(全店長達とマネージャークラス8名程)が私の前に現れ、タリーズの全商品を一個ずつ注文して、すべて味、作り方等を何も言わずにジィーっと見て、味見をして(確か少し味についての厳しいコメントをして)帰っていったのです。あれは本当に「冷や汗」では済まなかったですね。

{それではアイスクリームは?}
コーヒー業界に賭ける私には、スターバックスがメインでした。
それでもホブソンズは、週末の夜の時間帯を選んで働いてみました。当時は千葉に住んでいましたので、終電には乗れず、いつもお店で店長と仮眠を取って、自宅へは翌朝帰っていました。週末でしたが、時期は4月から6月。六本木で週末を遊んだ人達が確かに来てはいましたが、コーヒー程の爆発的な、しかも長時間営業は正直、成り立ってはいませんでした。

「やっぱり!コーヒーしかない!!」

この経験を元に松田と話し合い、5月のシアトル行きは完全に「コーヒー」狙いの旅になったのです。

余談ですが、タリーズは当初から「喫煙OK」をスターバックスとの差別化とし、価格もTallサイズを少し安くして、日本人の「真ん中思考」(つまり3種類あったら真ん中、つまりTallサイズを選ぶ傾向がある。これが他社より安かったら....)を狙っていったのです。喫煙席の発想は、スターバックスでアルバイトをしていて、お客様が「コーヒー飲むとタバコが吸いたい!!」という声を聞いていましたので、タリーズはこの顧客層を取り込もう!(私自身愛煙家)と思い付いたので、店のコンセプトに加えました。

脱線していってますが、店舗の話に戻ると
「どうやって銀座に物件を確保できたか?」
ですが、答えは簡単です。
私は前述したように三和銀行の銀座支店に96年12月前在籍しており、田崎さん(ビルのオーナー)は銀座支店のお客様だったのです。そして、三和銀行の関連会社の方も、私が行員時代に色々とお世話になった方で、この話を持ってきて頂いたのです。問題は、ただ単に「金額」でした。
この本に書いてあるようなドラマチックな「直談判」などは無く(前述した帝国ホテルでのトムへの直談判程の妄想ではないのですが)単に我々が”保証金3500万ほどを払えて、毎月150万近くのレントを払っていけるのか?”それが「大問題」でした。

そしてこの話は次に綴る「どうやって開業資金を工面したのか?」に続いていきます。

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