タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 2

一般的に何故、成功を収めた人間が、この本で事実を「捏造」したり「妄想」としか思えない事を綴っているのであろうか?

「次の真実」はたぶん多くのこの本の読者にインパクトを与えた部分です。
この本を買った人のコメントで「帝国ホテルのレッドカーペットのシーンが......」
私は、この部分を読んで、その人に申し訳ない!とすら感じています。

トムへの

「事実」はこういう事です。

まず、トムに会うのはほんの一瞬で、しかもシアトル。(2回目の訪問時)彼はシアトルマリナーズの話をして(たぶん長くて15分くらい)我々をタリーズの店舗や工場に案内してくれたのは、殆どが副社長のアールジェー。(社用車がHUMMERだった事には驚きましたね。)しかし、この接見が実現したのは前の回に書いたように、ダンのおかげでした。我々はダンが手配してくれたシアトルの街中のFourSeasonsに待機して、ひたすらタリーズからの連絡を待っていました。確か一日目は「空振り」。そして2日目に「招待」を受け、やっとアールジェーのお迎えのHUMMERで、本社で会談する事が出来ました。

余談ですが、正直ダンが取ってくれたFourSeasonsHotelは,
当時の我々の財力には身分不相応も良いところ。「アメリカのビジネス界」というものを思い知りました。ましてやこちらは「弱小零細企業」。でも大きく見せなければ、このビジネスは上手くはいかない、絶対に。幸い、我々の事を知るアメリカ人はいない。ましてや大手と呼ばれる会社でも彼らにとっては一取引先。ダンのような学生企業を自分で立ち上げた人には親近感と期待、そして、応援の気持ちで我々にチャンスを与えてくれた!と今でも信じています。結局、この一流ホテルに泊まりながら、食事は外の「安いステーキ屋」みたいなところで済ませ、ひたすらタリーズからの連絡を待っていた時は、惨めでもあり、またこの一回の交渉に賭ける想いが頂点に達してもいました。

つまりトムと会ったのは、2回目のシアトルで。
オープン前に最初で最後、97年の5月頃。彼は日本には来ていませんし、オープン前には、アールジェーが来ただけでした。

では、この話は何???

私の記憶では、当時スターバックスが成功を収め、次のシアトル系のコーヒー会社を探していた我々は「シアトルズ ベスト コーヒー」というシアトルでは第2位のコーヒー会社に目を付けていました。当時のタリーズよりは、はるかに「大規模」で、シアトルのマクドナルドのコーヒーはこの会社のコーヒー豆を使っていましたので、他のマック(アメリカ)のコーヒーに比べて、格段に美味しかったです。この全米第2位のコーヒー会社の社長が東京新宿の、確か「センチュリーハイアット」に来ていた情報を得て、「直談判」に行ったのは事実です。
結果は当然「NO」。我々など相手にもしてくれませんでした。当時彼らは、同じシアトル出身の「エディーバウアー」というアウトドアー系のカジュアル洋服、及び雑貨の会社とコラボして「エディーバウアーCafe」で日本進出を決めていたのです。当時新宿の南口の再開発で高島屋が出来て、その中に確か、一号店をオープンさせました。それで新宿に宿泊していたのです。

その後、タリーズをはじめシアトルの残されたCoffee会社との交渉を計画し、資金計画を進め(家族や親戚、そして国民金融公庫からの借り入れ)、そして悔しくも私の祖母が亡くなった日(1997年5月)我々はシアトルに旅立ったのです。

シアトル

そこで”初めて”タリーズのトムやアールジェイに会う為に!



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